日本初のアイドル明日待子が死去・初代カルピスCMガールだった【爆報!THE フライデー】
2019年9月20日放送の爆報!THE フライデー「あのアイドルは今…」のコーナーで、
日本初のアイドル・明日待子さんが特集されます。
なので今回、明日待子さんの経歴について調べてみました。
みなさん一緒に確認していきましょう!
明日待子のプロフィール
名前:明日 待子(あした まつこ)
本名:須貝 とし子(すがい としこ)
別名義:五條 珠淑(ごじょう たまとし)
生年月日:1920年3月1日
没年月日:2019年7月14日(99歳没)
出生地:岩手県釜石市
職業:女優、舞踊家
ジャンル:軽演劇、映画、日本舞踊
活動期間:1933年 - 2019年
活動内容:1933年 ムーランルージュ新宿座、1955年 五條流舞踊研究所
明日待子の経歴は?
明日待子さんは、戦時中に活躍した日本初のアイドルです。
13歳でムーランルージュ新宿座デビューし、看板女優として活躍しました。
ハーフっぽい顔立ちでとても可愛らしいですよね。
現役時代は雑誌のグラビアや初代カルピスCMガール、ライオン、キッコーマンなどのポスター
に起用されるなど一大ブームを巻き起こしたそうです。
この当時から、今でいうグラビアアイドルが存在したということですね!
1949年(昭和24年)、北海道の興行会社「須貝興業(現・SDエンターテイメント)」の御曹司
と結婚しました。以降は札幌市に居住し、のちに舞踊研究所を開きました。
1979年(昭和54年)度の札幌市民文化奨励賞受賞しています。
2019年7月14日に惜しまれつつも、老衰の為死去されています。99歳でした。
美人薄命なんて言いますが、長生きされて素晴らしいと思います。
戦争という大変な時代を生き抜いて、戦時中もアイドルでいらっしゃいました。
待子さんはステージから兵隊たちに呼び掛け、
一人一人手を握って「ご苦労様。ご武運長久をお祈り致します」と声を掛けて回ったといいま
す。殺伐とした時代に心のオアシス的な存在だったのでしょうか。
明日待子さんが爆報!THE フライデーで特集されます(2019年9月20日放送)
番組では、明日待子さんが「72年越しのファンとの再会後に取った驚きの行動とは? 」
を放送するようです。
72年越しというのもまたすごいですよね!どんな行動を取ったのか気になります!
まとめ
今回、日本初のアイドル明日待子さんが気になってまとめてみました。
戦争という大変な時代の中、アイドルであり続けた待子さん。
明日を待つ子という芸名にも希望が満ち溢れていますよね。
亡くなる前日まで扇を握って練習に勤しんでいたそうです。
どうか安らかにおやすみください。