日本初のアイドル明日待子が死去・初代カルピスCMガールだった【爆報!THE フライデー】

2019年9月18日

2019年9月20日放送の爆報!THE フライデー「あのアイドルは今…」のコーナーで、

日本初のアイドル・明日待子さんが特集されます。

なので今回、明日待子さんの経歴について調べてみました。

みなさん一緒に確認していきましょう!

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明日待子のプロフィール

名前:明日 待子(あした まつこ)

本名:須貝 とし子(すがい としこ)

別名義:五條 珠淑(ごじょう たまとし)

生年月日:1920年3月1日

没年月日:2019年7月14日(99歳没)

出生地:岩手県釜石市

職業:女優、舞踊家

ジャンル:軽演劇、映画、日本舞踊

活動期間:1933年 - 2019年

活動内容:1933年 ムーランルージュ新宿座、1955年 五條流舞踊研究所

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明日待子の経歴は?

明日待子さんは、戦時中に活躍した日本初のアイドルです。

13歳でムーランルージュ新宿座デビューし、看板女優として活躍しました。

ハーフっぽい顔立ちでとても可愛らしいですよね。

現役時代は雑誌のグラビアや初代カルピスCMガール、ライオン、キッコーマンなどのポスター

に起用されるなど一大ブームを巻き起こしたそうです。

この当時から、今でいうグラビアアイドルが存在したということですね!

1949年(昭和24年)、北海道の興行会社「須貝興業(現・SDエンターテイメント)」の御曹司

と結婚しました。以降は札幌市に居住し、のちに舞踊研究所を開きました。

1979年(昭和54年)度の札幌市民文化奨励賞受賞しています。

2019年7月14日に惜しまれつつも、老衰の為死去されています。99歳でした。

美人薄命なんて言いますが、長生きされて素晴らしいと思います。

戦争という大変な時代を生き抜いて、戦時中もアイドルでいらっしゃいました。

待子さんはステージから兵隊たちに呼び掛け、

一人一人手を握って「ご苦労様。ご武運長久をお祈り致します」と声を掛けて回ったといいま

す。殺伐とした時代に心のオアシス的な存在だったのでしょうか。

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明日待子さんが爆報!THE フライデーで特集されます(2019年9月20日放送)

番組では、明日待子さんが「72年越しのファンとの再会後に取った驚きの行動とは? 」

を放送するようです。

72年越しというのもまたすごいですよね!どんな行動を取ったのか気になります!

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まとめ

今回、日本初のアイドル明日待子さんが気になってまとめてみました。

戦争という大変な時代の中、アイドルであり続けた待子さん。

明日を待つ子という芸名にも希望が満ち溢れていますよね。

亡くなる前日まで扇を握って練習に勤しんでいたそうです。

どうか安らかにおやすみください。