中村梅雀の祖父翫右衛門が関わった戦後の事件とは赤平事件か【ファミリーヒストリー】
祖父の中村翫右衛門が関わった戦後まもなくに起きた事件とは!?
中村梅雀さんの祖父は中村翫右衛門さんで、戦前から戦後と活躍した名優でした。
父は「遠山の金さん」などでおなじみの、中村梅之助さんです。
まさに名優ばかりの一家ですね。
中村翫右衛門さんが関わった、戦後まもなくに起きた事件とは
1952年(昭和27年)に起きた赤平事件のことではないかと推測されます。
赤平事件とは、
北海道公演で、赤平町(現・赤平市)で会場に押さえておいた小学校の体育館が
当日になって使えなくなる騒動が勃発しました。
小学校職員と劇団員が揉めた結果に怪我人が出て、傷害・器物破損の容疑で逮捕状が出ました。
警察から追われ、翫右衛門さんはこれから逃げるために北海道から姿を消し、
中国へ亡命しました。
行方が分かったのは3か月後、中国・北京からのラジオ放送だったそうです。
1955年(昭和30年)、
「一時亡命」先の中国・北京から3年ぶりに帰国した中村翫右衛門さんは、
このとき「凱旋帰国」と報じられました。
そもそも、翫右衛門さんは四代目河原崎長十郎、五代目河原崎國太郎などとともに
前進座を結成していました。
日本の有名な歌舞伎界の役者さんら十何人かが固まっていた集団で、
民主的な劇団を創ろうと言って前進座を旗揚げした経緯があり、
戦後は座員ともども日本共産党に入党しました。
しかし、当時の時代背景として、
日本を占領していた米軍マッカーサー元帥指揮のもと、レッドパージが行われていた時であり、
「それぞれの全職場から共産主義者をすべて追放せよ」という指令が出ていました。(赤狩り)
前進座も赤系統と目を付けられていたことが、北海道赤平事件への引き金となりました。
その当時の前進座の人たちは、大変な勇気を持ってその封建制から抜け出して、
新しい芝居を創ろうと考えていたそうです。
この赤平事件の時も、中村翫右衛門を座長とする30人程が北海道に興行に来てから、
あちらこちらで弾圧を受けていました。
中村梅雀さんがファミリーヒストリーに出演(2019年9月16日放送)
2019年9月16日放送のファミリーヒストリーでは、
中村翫右衛門さんの赤平事件について、驚きの真実が明らかになります。
そして、梅雀さんの父・梅之助さんの「遠山の金さん」秘話なども。
激動の芸能一家の歳月を梅雀さんが振り返ります。
まとめ
今回は、中村梅雀さんの祖父である中村翫右衛門さんの事件について、
気になってまとめてみました。
放送で明らかになる事件の真実とは何か、とても興味深いです。
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