原三渓(日本美術の目利き)の子孫や描いた「白蓮」とは!?【グレーテルのかまど】

2019年10月5日

2019年10月7日放送のグレーテルのかまどでは、「原三渓の茶巾絞り」を作ります。

なので今回、原三渓さんの経歴や子孫、描いた作品『白蓮』などが気になって調べてみました。

みなさん、一緒に確認していきましょう!

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原三渓のプロフィール

名前:原 富太郎(はら とみたろう) ※号は三溪(さんけい)

生年:慶応4年8月23日(1868年10月8日) – 昭和14年(1939年)8月16日

職業:日本の実業家、美術品収集家、茶人

出身地:美濃国厚見郡佐波村(現・岐阜県岐阜市)

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原三渓の経歴とは!?

原三渓は、青木久衛の長男として生まれました。

東京専門学校(現・早稲田大学)で政治学・経済学を学び、跡見女学校の教師を務めました。

1892年、横浜の豪商・原善三郎の孫であり、跡見女学校での教え子であった

原屋寿(はら やす)と結婚して原家に入り、家業を発展させました。

神奈川県横浜市を本拠地とし、の貿易により富を築きました。

富岡製糸場を中心とした製糸工場を各地に持ち、製糸家としても知られていました。

1915年に帝国蚕糸の社長、1920年に横浜興信銀行(現在の横浜銀行)の頭取となりました。

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美術品の収集家や茶人としての原三渓

25歳頃から集め始めた美術品のコレクションは5000点を超えたそうです!

日本や中国の古美術品(書画や茶道具)を集めるとともに、

同時代の画家(小林古径、前田青邨、横山大観、下村観山、今村紫紅、速水御舟、安田靫彦ら)

の作品を購入したり、生活費を支給したりして援助したパトロンでもありました。

2019年に開催された

「横浜美術館開館30周年記念 生誕150年・没後80年記念 原三溪の美術 伝説

の大コレクション」で展示されました。

横浜本牧に三溪園を作り、京都や鎌倉の古建築の建物を移築しました。

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原三渓の子孫は!?

原三渓の長男の善一郎は、

高校時代に芥川龍之介と同級生でアメリカ留学の経験もあり、

原合名会社の副社長に就任しますが、脳溢血で45歳という若さで他界しました。

次男に良三郎、長女に春子がいます。

孫の恭二郎も徴兵されて、若くして亡くなっています。

曾孫は、ホテルニューグランド会長だった原範行氏(養子)です。

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画家としての原三渓

原三渓は絵も描きました。

三溪が最も多く描いた画題が『蓮』です。

故郷の岐阜は蓮の生産が盛んであり、三溪は蓮(蓮華)をとても愛でていました。

三溪園のなかの建物の引き戸などにも、蓮華や蓮の茎を使用しています。

そして、自分で設計した茶室には「蓮華院」と名付けました。

三溪の『白蓮』 昭和6(1931)年の作品です。

とても優雅で綺麗な作品ですよね。蓮の美しさがよく出ています。

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2019年10月7日放送のグレーテルのかまどは「原三渓の茶巾絞り」

日本美術の目利き、コレクターとして名を残す原三渓。ある夏、三渓が開いた茶会で出したのが、蓮(はす)の葉に盛り、蓮の実を散らした“浄土飯”と、まだ旬には早いさつまいもで作った茶巾絞りでした。それは、跡継ぎとして期待した長男が急逝した直後のこと。客たちは、道具立てと料理とにその悲しみを感じ、深い感銘を受けました。近代日本の発展に尽くした「無私の人」原三渓。その人柄を、素朴な和菓子から読み解きます。

https://tv.yahoo.co.jp/program/63577139/

三渓の「茶巾絞り」には長男を早くに亡くした悲しみが込められていたのですね。

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まとめ

実業家として、美術品コレクターとして、画家として、茶人として、

様々な顔を持っていた原三渓。

今回調べてみて、知れば知るほど魅力的な人物であると感じました。