岸田劉生は意識高い系画家!名言や自画像は?【日曜美術館】
画家の岸田劉生さんが日曜美術館で特集されます。(2019年10月6日再放送)
なので今回、岸田劉生さんの経歴や名言、自画像などが気になって調べてみました。
みなさん、一緒に確認していきましょう!
岸田劉生のプロフィール
出展:http://eizendo.com/writers/538/
名前:岸田 劉生(きしだ りゅうせい)
生年:1891年6月23日 - 1929年12月20日
職業:大正から昭和初期の洋画家
家族:父親はジャーナリストの岸田吟香
岸田劉生さんの経歴は!?
岸田さんは、1891年の東京銀座に生まれました。
薬屋「楽善堂」を経営する実業家、岸田吟香の四男です。
弟はのちに浅草オペラで活躍し宝塚歌劇団の劇作家になる岸田辰彌さんです。
1911年(明治44年)『白樺』主催の美術展がきっかけでバーナード・リーチと知り合い、
柳宗悦・武者小路実篤ら『白樺』周辺の文化人とも知り合うようになりました。
後期印象派の作品に感動し、強い影響を受けています。
1912年(明治45年)、高村光太郎・萬鉄五郎・斎藤与里・清宮彬・木村荘八らとともに
ヒュウザン会を結成しました。
ゴッホやセザンヌなどの新しい西洋美術に影響を受けた画家たちでした。
その後はドイツの画家デューラーらルネサンス様式の影響をうけ、写実表現を追求します。
1914年(大正3年)に娘の麗子が誕生、
1918年以降に彼女をモデルとした「麗子像」を50点あまり描きました。
とても有名な絵ですよね。しかし、50点もあったとは驚きです!
関東大震災後は京都に移り、初期浮世絵や宋元画に熱中して東洋的な画風に変化したそうです。
1929年に尿毒症により、38歳で死去しました。
岸田劉生さんの名言集!
「自分の虚栄心は他人に対して、自分は偉い人間だぞと云いたがっている、それから、自分は世間的に名のひろまった、つまり有名な人間だぞと云いたがっている」
岸田劉生の日記より。「はぢめからやりなおほして、まっ向からわきめもふらずに突き進まなきゃ駄目だぞと思ふ」
岸田劉生の日記より。「醒めよ、吾が冷き理性、醒めよ、吾が、強き意力、常に爾(なんじ)を欺(あざむ)きて、眠らせんとする、卑屈なる吾を鞭打て、…吾は弱し、されど、吾は、吾自ら進まざる可らず。醒めよ!常に醒めよ!」
岸田劉生の日記より。https://showa-g.org/men/view/133
何かこう内側から熱いものが湧き出ているかのような、
力強い名言が多いですよね。
岸田劉生さんの自画像は?
岸田劉生さんは自画像を描いていました。
こちらは、1914年の作品です。
岸田劉生さんが日曜美術館で特集されます。(2019年10月6日再放送)
フランスの印象派に憧れた大正時代の画壇で、
ひとりデューラー風の肖像画を描き続けた異端児がいた。岸田劉生。
現代画家の会田誠さんが<意識高い系>画家・劉生を語る。
日本美術史上、最も有名な少女・麗子。岸田劉生が何度も描いた愛娘7歳の肖像「麗子微笑」
は、謎のほほえみを浮かべている。また静物画では、果物の配置や色つやに、
ただならぬ気配が漂う。そして何の変哲もない“坂道”は、今にもこちらに迫ってきそうな迫力。
岸田劉生が描くと、いつも何かがヘン。
劉生は日本の洋画家の中で飛びぬけて<意識が高い><理想が高い>と語る現代画家の
会田誠さんとともに、劉生の真の姿に迫る。
https://tv.yahoo.co.jp/program/63551021/
画家の中でもとても個性的だった岸田さん。
意識高い系、理想を高く求めた画家の真の姿がとても興味深いです!
まとめ
異端児の画家だった岸田劉生さん。
麗子像はなんとも言えない不思議で魅力的な感覚がしますよね。
西洋でいうと、モナリザのような雰囲気を感じます。
どんな画家だったのか、放送が楽しみです。