電気自動車たまは70年前に存在した!名前の由来は?【歴史ヒストリア】
2019年11月27日放送の歴史秘話ヒストリアは、
「走れ!たま 知られざる電気自動車の時代」です。
近年、電気自動車(EV)がガソリン車に変わり、注目されつつありますよね!
メリットもスムースな動きで音が静か、素早い動きでレスポンスが早いので
長距離の運転でも疲れない、自宅で充電するのが基本なので給油の面倒がない、
消耗品が少ない、環境にやさしいなどたくさんあります。
充電スタンドも街中でちらほら見受けられるようになってきました。
電気自動車は最近になって作られるようになったものと思っていました。
なんと!70年も前の日本に電気自動車が活躍した時代がありました!
しかし、あまり知られていないそうなんです。実際、私も知りませんでした。
そんな昔からあったなんて、信じられないですよね。
その幻の電気自動車とはどんな車なのでしょうか?
幻の電気自動車「たま」とは!?
日本が敗戦直後に存在したという幻の電気自動車、
その名も「たま」です。
なんか猫の名前みたいで可愛いですよね!
車に「たま」って、今となっては考えられないネーミングセンスです。
最近の車の名前って、横文字でカッコイイのが多い印象ですが、
ひらがなってほっこりして愛着が湧きます。
しかし、可愛いのは名前だけではありません。
見た目や大きさ、フォルムも愛らしいですよ!
こちらは「たま電気自動車 展示走行」の動画です。外見がオシャレ!
動きもスムーズです。
実はこの動画に出てくる車は日産がレストアしたものです。
「たま電気自動車」はどのように誕生したの?
たま電気自動車が生まれたのは1947年(昭和22年)。
この年に起こった出来事は、
学校給食が開始され、アメリカから脱脂粉乳が提供されました。
また、新憲法の施行や最高裁判所、6・3・3学制の発足、
内務省解体など、現在の体制が始まりつつある時代でした。
この時はまだ終戦直後で混乱していて、ガソリン供給が安定していなかったため、
電気自動車という考えが生まれたのです。
出展:日産自動車株式会社
この「たま電気自動車」を作ったのは、立川飛行機という会社でした。
以前は飛行機の製造を行っていましたが、終戦後には自動車メーカーへ転身。
立川飛行機は、のちの「プリンス自動車」です。つまり、日産の前身でした。
「たま」の名前の由来は、工場があった地元の地名「多摩」です。
当時の技術者たちは「日本の物流を変えたい」という思いで
必死になって作り上げました。とても頭が良く、優秀な方たちだったそうですよ!
もともとは飛行機のエンジニアなので、飛行機らしい部分があるところが
面白いなと思いました。ボンネットも当時は横開き!飛行機みたいですね!
終戦後の混乱期でも「物流には車が必要」という前向きな思いが形になって、
感動しました。
「たま」はどのくらい売れたの?最高時速は?
たま電気自動車の1947年型は最高速度は35km/h、充電走行距離は65kmでした。
1947年~1951年に1099台を生産し、
多くの電気自動車が出現した中で量産となりました。
現在生産されている日産の電気自動車「リーフ」との一番大きな違いは、
「余った電気を回収することなく、熱として捨ててしまっていたこと」だそうです。
「たま」の後に改良されたモデルは航続距離200km。
そして3年間で1000台以上が販売されたというのですから、
とても人気があったのですね!
たま電気自動車、プリンス自動車に興味のある方におすすめの本です。
バッテリーカートリッジは簡単に交換でき、
車両重量1050kgの内 バッテリーカートリッジが327kgを占めていたそうです!
重かったんですね~。
出展:http://www.npo-rjc.jp/
1948年3月、大阪・高槻市で実施された 第1回電気自動車性能試験の様子です。
出展:http://www.npo-rjc.jp/
まとめ
今回は、70年前に存在した電気自動車「たま」について調べてみました。
・たま電気自動車は1947年(昭和22年)に誕生
・たま電気自動車の名前の由来は、工場があった地名「多摩」から
・たま電気自動車を作ったのは立川飛行機で、日産の前身
・たま電気自動車の1947年型は最高速度は35km/h
・1947年~1951年に1099台売れた
まさか、70年前に電気自動車が存在していたとは思いもよらなかったですし、
しかも飛行機のエンジニアが作ったなんて、興味深くて驚きの連続でした。
車に飛行機に似た部分があって可愛いかったのも人気の1つ!?なんて、
思ったりしました。