前畑秀子(日本人女性初の金メダリスト)の重圧がエグい!晩年や子供は?【歴史秘話ヒストリア】

2020年1月14日

いよいよ今年は2020年。

東京でオリンピックが開催されるので、

ますますオリンピック熱が高まってきているのを感じます!

2020年1月15日(水)放送の「歴史秘話ヒストリア」で、

日本人女性初の五輪金メダリストである

前畑 秀子(まえはた ひでこ)さんが特集されます。

そこで今回は、

前畑さんの成績や栄光の裏の重圧に苦しんだ日々、

晩年やお子さんも気になって調べてみました。

最後までお読み頂けたら、うれしいです。

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前畑秀子のプロフィール

 

出展:http://www.ssf.or.jp/

名前:前畑 秀子(まえはた ひでこ)

生年:1914年〈大正3年〉5月20日 – 1995年〈平成7年〉2月24日

※80歳没

職業:水泳選手

出身地:和歌山県伊都郡橋本町

結婚後の姓は兵藤(ひょうどう)といい、

兵藤秀子の名前でもよく知られています。

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前畑秀子ってどんな人?

NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」

で昨年の秋に放送され、

感動の号泣回として記憶に新しいのが、

前畑秀子さんにスポットを当てた話でした。

1936年のベルリンオリンピック女子200メートル平泳ぎ

前畑さんは日本人女性初の五輪金メダリストとなりました。

伝説の実況「#前畑がんばれ」で話題にもなっていましたね。

金メダルという栄光の裏には、

壮絶なプレッシャーに苦しんだ日々があったといいます。

前畑さんはどんな日々を送ったのでしょうか?

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結婚と水泳で揺れ動く・・・

前畑さんは1914年に和歌山県橋本町(現・橋本市)に

生まれました。

幼い頃から地元の紀ノ川で泳いだりと、

水に親しんでいました。

橋本尋常高等小学校に入学し、水泳の指導を受けるように

なるともうすでにメキメキと頭角を現しました。

5年生のときには、

関西水泳連盟主催の学童水泳大会に出場し、

50m平泳ぎで当時の学童女子の日本記録を樹立しました!

この頃からすでに水泳の才能が芽を出していますね!

水泳の中でも平泳ぎが得意でした。

前畑さんの生まれた家は豆腐屋で貧しかったそうです。

本来は卒業後に進学する余裕はなかったのですが、

校長先生が両親を強く説得しました。

1929年8月、ハワイで開催された汎太平洋大会で、

100m平泳ぎで優勝、200m平泳ぎでも2位を獲得しました。

このハワイ遠征あたりから、

前畑さんはひそかに「オリンピックに出てみたい」と

思うようになっていました。

世界で自分の泳ぎが通用することがわかったので、

自信がついたんですね。

そして、女学校在学中には両親を亡くしてしまいます。

一時は退学も考えたそうですが、留まるよう説得の声もあり、

プールで練習を続けました。

1932年のロサンゼルスオリンピックに出場し、

200m平泳ぎで銀メダルを獲得しました。

今考えても本当にすごく名誉なことだと思うのですが、

前畑さんが帰国するとある出来事がありました。

「いだてん」でもそのシーンは描かれていましたが、

祝賀会で、当時の東京市長・永田秀次郎は前畑さんと対面すると、

銀メダルという結果をしきりに残念がり、

次のベルリンオリンピックではぜひ優勝してほしい

と懇願したのです。

個人的になんだかものすごくムカッと腹が立ちました。

それだけ期待が大きかったのかもしれませんが、

銀メダルでもすごいことだと思います。

前畑さんは4年後には22歳、

当時の女性の結婚適齢期を過ぎてしまう・・

結婚かオリンピックを目指して水泳を頑張るかで

悩んでいたとき、

亡きお母様が夢に出てきてこう告げました。

「やりかけたことは、最後までやり通しなさい」

前畑さんは水泳を続ける決心が出来たと言います。

オリンピックで優勝を目指し、

毎日2万m泳ぐことをトレーニングとして己に課していました。

その結果が見事ベルリンオリンピックでの金メダルに繋がりました。

 

出展:https://gendai.ismedia.jp/

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前畑秀子の晩年は?

ベルリンから凱旋帰国した1936年には、

医師の兵藤正彦とお見合いをして、

1937年に結婚式を挙げました。

オリンピックで世界中にその名をとどろかせた

前畑さんの結婚のニュースは、

国内だけでなく海外でも報じられました。

その後に2人の男の子の母にもなりました。

夫が終戦後に復員すると、

1946年に岐阜市で医院を開業しました。

前畑さんも子育てをしながら夫の手伝いを

していましたが、彼女が45歳のときに

夫が急逝しました。

悲しみ明け暮れていたといいます。

そんな時、再び元気を取り戻すきっかけに

なったのはやはり『水泳』でした。

水泳コーチになってほしいと声をかけられたのです。

日本の水泳を再び強くするため

「水泳教室を開きたい」

水泳人口層を厚くするためには子供たちに

水泳を教える必要があると思うようになります。

そして水泳教室の開設まで成し遂げました。

高齢化社会を見据えて「シルバー教室」も開いた

というのですから、驚きですよね!

1983年にプールで指導中に脳溢血で倒れ、

一時生死をさまよったもののリハビリに励み、

プールに復帰。

80歳で亡くなるまで、日本の水泳を支え続けました。

1990年には文化功労者にも選ばれました。

前畑さんの人生には試練や辛いこともありましたが、

それを乗り越えるパワーや水泳に対する情熱を

とても感じます。

前畑さんは自身の体験から、

このように語っています。

出展:https://www.jiji.com/

「ひとはスポーツをするに当って、決して勝利を目的とし、

そのことにのみ熱中してはならない」

「すべての人々が、心から楽しみ、若さをとりもどす健康のためのスポーツ――

が、これからの理想でもあると考える」

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