西岡京治はブータンで最も尊敬されている日本人!現地妻や子供は?死因は?【世界ナゼそこに日本人】

2020年1月12日

2020年1月13日(月)放送の

「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~」で、

ブータンの秘境の山奥で今も感謝され続ける偉大な日本人偉人

が放送されます。

偉大な日本人とは一体誰のことなのでしょうか?

気になったので、調べてみると

西岡京治(にしおかけいじ)さんという方がおられました。

「ダショー」というブータンの称号まで授けられた西岡さん。

どんなことをブータンで成し遂げた方なのか、

結婚はしているのか、現地妻の存在とは、

お子さんなども調べてみました。

最後までお読み頂けたら、うれしいです。

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西岡京治(にしおかけいじ)ってどんな人?

出展:https://www.sankei.com/

名前:西岡 京治(にしおか けいじ)

生年:1933年(昭和8年)2月14日 – 1992年(平成4年)3月21日 ※59歳没

出身地:日本統治下朝鮮・京城府(現:韓国・ソウル)

職業:日本人農業指導者、植物学者

所属:海外技術協力事業団

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ブータンという国

ブータンと言えば、

「世界一幸せな国」なんてキャッチフレーズがありますよね。

場所がどのあたりかわかりますか?

出展:https://www.jics.or.jp/

ブータンはヒマラヤの山中に位置しています。

首都はティンプー。

秘境めいていてなんだか魅力的な国ですよね。

そんなブータンの現実を追いかけ、

発展に命をかけたひとりの日本人がいます。

「ブータン農業の父」と呼ばれた、

西岡京治(にしおかけいじ)さんです。

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妻とブータン入り!

西岡さんは解剖学者の西岡辰蔵・利恵夫妻の長男として

1933年に生まれました。

1945年の第二次世界大戦後、

日本に帰国して大阪府八尾市に移住したのちに、

大阪府立大学大学院農学研究科に進みます。

西岡さんはもともとヒマラヤの植物生態に

興味を持っていたそうです。

1964年にブータンに入国、この時にはご結婚されていて

妻の里子さんと二人で入国したそうです。

見知らぬ土地で一人より心強いですね!

きっかけは海外技術協力事業団(現JICA)が農業専門家として

2年間の期間限定で西岡さんを派遣したことでした。

西岡さんは、

「水が少なく、平野が少ないこの地方の人々の暮らしを、少しでも豊かにしたい」

とブータン行きを熱望していたのだとか。

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「干された状態」苦労の連続・・・

いざブータンに着き農業指導を始めようとするも、

そこに待ち受けていたのは苦難の連続でした。

当時の農業局を仕切っていたインド人たちの冷遇。。

「いきなり来た日本人に何が出来るの?」

という態度でした。

意見さえ受け入れられないという、

まさに『干された』状態だったと西岡さんは語っています。

まず昔ながらの家族が食べていく分だけを作っているブータンの人々を

説得するのが難しい。

それでも西岡さんは諦めませんでした。

稲の栽培技術や新しい品種をブータンに持ち込み、

2年の任期が終了した後もとどまって指導を続けました。

そもそも大学の恩師が

海外技術協力事業団の農業指導者の依頼に

西岡さんを選んだのも、

そんな西岡さんの粘り強い性格を評価していたから

かもしれません。

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ダショー西岡の作り上げたもの

西岡さんが最初に行ったことは、

「試験農場の確保」でした。

ブータンにはまともな農場が無かったそうなんです。

政府に掛け合ってやっともらえたのは、

200平方メートル程の土地。

手伝いの少年たちを指導します。

努力が最初に認められたのはなんと、

「コメではなくダイコン」でした。

これは意外ですよね!

寒暖差の激しいブータンではダイコンをはじめ、

甘みの強い大きな野菜ができたのです。

その後、日本で普及している並木植え(縦横一定間隔で植えていく)

での米作りをブータンでも普及させました。

ブータン農業の近代化への着実な1歩ですが、

その背景にあったのは、

新しい農法に躊躇する村人との何百回もの話し合い、

また現地の人々の生活に溶け込んだ里子さんのサポート

が不可欠でした。

何でもそうですが、新しいことに挑戦するときというのは

不安と期待が入り混じりますよね。

奥様のサポートはかなり心強かったでしょう。

そして、何度も話し合う西岡さんの姿勢も素晴らしいです。

西岡さんはブータンで最も貧しく忘れられた土地

といわれるシェムガン南部の再建にも取り組みました。

そこには日本と同じ立派な水田を作りました。

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西岡さんの偉業と貢献

西岡さんがブータンに遺したものは、

農法だけではありませんでした。

食生活の改善、架橋による流通の促進、地域開発にまで

及んだそうです!

ここまで来ると、ブータンの国自体を

大きく変えたと言っても過言ではないですよね。

こうして西岡さんはなんと28年間もブータンで

農業指導を続けました。

1980年にはジグミ・シンゲ・ワンチュク第四代国王から、

「最高に優れた人」という意味の名誉称号「ダショー」

を外国人として初めて贈られました。

数々の功績を残した西岡さんですが、

帰国直前の1992年に敗血症にかかり、

59歳という若さでブータンで死去しました。

その死を嘆き悲しんだ人々が、

国葬を行い、全土から5000人もの人々が集まって

涙を流したそうです。

2014年には功績をたたえる記念館

パロの国立農業機械化センター内に完成し、

6月17日に記念式典が開かれました。

西岡さんがどれほどブータンの人々に感謝され、

功績を称えられ、愛されていたかがわかりますね。

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実は・・・

1976年、西岡さんがシェムダン県の開発に携わっているとき、

妻の里子さんは7歳になる娘さんの教育も考えて、

帰国していましたので、

亡くなる1992年まで単身で生活していました。

単身赴任みたいな形です。

日本に正妻がいる訳ですが、

実は西岡さんはパロとシェムガンに2人の現地妻がいました。

現地での子供は3人いたそうです。

ブータンはそのあたりの倫理観は寛容だそうですが、

少し驚きました。

しかし、ブータンのために生きて

人生をブータンすべてに捧げた西岡さんにとっては

自然な流れなのかもしれません。

西岡さんは今でもブータンの人々に最も尊敬されている

日本人であり、感謝され続けています。

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学者

Posted by nekomegane